INTRODUCTION
『大いなる幻影』『ピクニック』『フレンチ・カンカン』・・・、今なお世界中で愛される数々の名作たち。印象派の高名な画家オーギュストを父に持ち、その偉大な芸術家の遺伝子を受け継ぎながら、映画芸術の可能性を高め続けてきた20世紀を代表する巨匠ジャン・ルノワール。自由と生命を高らかに謳い、そして同時に人間や世界の裏の側面を容赦なく暴き出し、官能的なまでに艶やかな映像美と圧倒的なエネルギーに満ち溢れた唯一無二の映像世界を作り上げてきた不世出の映画作家。フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ロベルト・ロッセリーニ、ルキーノ・ヴィスコンティ、ロバート・アルトマン、ダニエル・シュミット、ウェス・アンダーソン・・・、彼を敬愛する映画作家たちを挙げればきりがない。
今回の特集上映では、ルノワールの後期に焦点を当て、これまで日本ではあまり機会のなかった貴重な2作品『コルドリエ博士の遺言』『捕えられた伍長』を上映。時はフランス・ヌーヴェルヴァーグが映画の形を変容させていった50年代末から60年代初頭、ルノワールはいかにして映画と向き合い、物語を模索したか。生誕130年の節目の年にルノワールの珠玉の“映画芸術”をご堪能ください。
FILMS
コルドリエ博士の遺言 4Kレストア
【国内劇場初公開】
それは神の領域に触れる禁断の実験。
『ジキル博士とハイド氏』をルノワール流に大胆に翻案。
「テレビ」「映画」「舞台」を交錯させた実験精神溢れる異端の作品!
ルノワールは「ジキル博士とハイド氏」の
原作者スティーブンソンの精神に最も近い形で、
映画の脚色を成し遂げている。
ジャン・ドゥーシェ(監督・批評家)
当時、新たなメディアとして登場したテレビ向けの企画として製作された本作は、従来の映画とは違った演劇や舞台のスタイルを取り入れている。複数のカメラで同時に撮影する「マルチプルカメラ」の手法が採用され、ルノワールは俳優をカメラから解放しようと試みる。これにより俳優たちはカメラに向けて演技をするのではなく、自分のリズムとペースで演技をすることが可能となった。撮影前には入念なリハーサルが繰り返され、舞台演劇のように綿密な打ち合わせが行われた。ルノワールは50年代中盤から舞台演出も手がけており、「芝居でやった仕事から生まれた実験映画である」と本作について語っている。主演はマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』(45)のジャン=ルイ・バロー。本作ではジキルとハイドをモチーフにした「コルドリエ博士」と「オパール」を見事に演じきり新境地を開拓。彼の優雅な身のこなしとダイナミックな演技は観るものを魅了する。ジャン=リュック・ゴダールとエリック・ロメールは本作をオールタイムベストの1本に挙げているほか、レオス・カラックスは2012年の『ホーリー・モーターズ』で本作のキャラクターにオマージュを捧げた「怪人メルド」を登場させている。
出演:ジャン=ルイ・バロー テディ・ビリス ミシェル・ヴィトルド ミシュリーヌ・ギャリ
1959年 | モノクロ | 96分 | スタンダード | DCP | © 1959 STUDIOCANAL – INA. All Rights Reserved.
捕えられた伍長 4Kレストア
1962年ベルリン国際映画祭 金熊賞ノミネート
1963年英国アカデミー賞 総合作品賞ノミネート
ただひたすら、自由を求めて。
名作『大いなる幻影』の変奏ともいうべき傑作喜劇。
生の歓びを高らかに謳い上げるルノワール最後の人生讃歌!
自由こそが本作の唯一の主題であり、
ルノワールが本作ほどに自身の言説の核心に至ったことは
かつてなかっただろう。
ジャン・ドゥーシェ(監督・批評家)
何度失敗しても果敢に捕虜収容所からの脱走を試みる伍長の姿を通して、生きる歓びと素晴らしさを描いたルノワールの遺作。自身の代表作『大いなる幻影』(37)の変奏とも言える作品だが、シリアスでペシミスティックな『大いなる幻影』に対し、本作はより軽快なタッチと魅力的なキャラクター描写により軽快な喜劇に仕上がっている。ルノワールは「敗れた者の精神についての映画を作りたかった。『大いなる幻影』はその反対に勝者の映画だった。先の大戦は私たちに一つのことを教えてくれた。そこには敗者しかないということである」と語る。『フレンチ・カンカン』(55)の成功でフランス映画界へ復帰したルノワールだったが、その後の作品は不振が続き、晩年アメリカで暮らし母国へ帰ることは叶わなかった。何度失敗してもパリに帰りたいと願う本作の主人公の姿は、まさに自身の心情と重ね合わされていたのかもしれない。出演は『ブルジョワジーの密かな愉しみ』(72)のジャン=ピエール・カッセルと『はなればなれに』(64)のクロード・ブラッスール。エリック・ロメールは本作をオールタイムベストに挙げるほか、「カイエ・デュ・ シネマ」誌にてその年のベスト10に選出された。
出演:ジャン=ピエール・カッセル クロード・ブラッスール クロード・リッシュ ジャン・カルメ
1962年 | モノクロ | 107分 | ビスタ | DCP | © 1962 STUDIOCANAL. Tous droits réservés.
STAFF&CAST
JEAN RENOIR
ジャン・ルノワール1894-1979 | 監督・脚本
1894年9月15日、フランス、パリのモンマルトル出身。印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男として生まれる。学校中退後、第一次世界大戦に従軍。戦後の療養中にチャップリンなどの映画と出会い、映画監督を志す。1925年に妻で女優のカトリーヌ・エスランを主演にした『水の娘』で監督デビューを果たす。その後、本格的に映画を撮り始め、1937年の『大いなる幻影』でフランスを代表する映画監督となる。第二次世界大戦中にアメリカへ亡命し、ハリウッドで『自由への闘い』(43)、『南部の人』(45)などを完成させた。そのほかインドで『河』(51)、イタリアで『黄金の馬車』(52)などを製作した。 戦後、フランス映画復帰作となる『フレンチ・カンカン』(54)が商業的な成功をおさめた。しかし、その後の作品はヒットに恵まれず、失望したルノワールは再びアメリカへ渡り、フランスに戻ることはなかった。1979年2月12日、ビバリーヒルズの自宅で死去。84歳没。フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールなどヌーヴェルヴァーグの監督をはじめ、ロベルト・ロッセリーニやルキーノ・ヴィスコンティなどネオ・レアリズモの監督、ロバート・アルトマン、ダニエル・シュミットなど世界中の映画監督に多大な影響を与えた。
JEAN-LOUIS BARRAULT
ジャン=ルイ・バロー1910-1994 | 『コルドリエ博士の遺言』主演
1910年、フランス・イヴリーヌ県、ル・ヴェジネ生まれ。高等中学校を卒業後、父親の反対を押し切って1931年に演出家のシャルル・デュランの一座に入り、初舞台を踏む。その後、パントマイムを学びながら1936年にウィリアム・フォークナー作の『母をめぐって』の演出が高い評価を受け、注目を集めるようになる。フランス演劇界を代表する俳優・演出家のルイ・ジューヴェからも好評を得た。また、同年のマルセル・カルネ監督作品『ジェニイの家』に出演。1939年には第二次世界大戦に招集されるが、無事帰還し、翌年の1940年からコメディ・フランセーズに参加。ナチス・ドイツ占領下で、自身の演出によりポール・クローデル作『繻子の靴』を上演し成功を収めた。ヴィシー政権下で製作され、1945年に公開されたマルセル・カルネ監督、ジャック・プレヴェール脚本による傑作『天井桟敷の人々』で主役ガスパールを演じ、強い印象を残す。今作はヴェネチア国際映画祭特別賞を獲得し、世界中で絶賛された。1946年にはコメディ・フランセーズを去り、妻で役者のマドレーヌ・ルノーと共に「ルノー=バロー劇団」を旗揚げし、パリのマリニー劇場をはじめ各地や海外などで公演を行った。1994年1月22日、パリで死去。83歳没。主な映画出演作品にサッシャ・ギトリ監督作品『デジレ』(41)、アンドレ・ベルトミュー監督作品『泣きぬれた天使』(42)、マックス・オフュルス監督作品『輪舞』(50)などがある。
JEAN-PIERRE CASSEL
ジャン=ピエール・カッセル1932-2007 | 『捕えられた伍長』主演
1932年10月27日、フランス・パリに医者の父親とオペラ歌手の母親のもとに生まれる。俳優のルネ・シモンに師事、演技を学ぶ。映画のエキストラやナイトクラブのダンサーとして活動をはじめ、やがて俳優でダンサーのジーン・ケリーに才能を見出され、自身が監督を務めた『ハッピー・ロード』(57)で映画デビューを飾る。1960年のフィリップ・ド・ブロカ監督作品「Les Jeux de l'amour」で注目され、人気俳優となる。ジャン・ルノワール監督作品『捕えられた伍長』(62)、ケン・アナキン監督作品『素晴らしきヒコーキ野郎』(65)、ルネ・クレマン監督『パリは燃えているか』(66)、ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品『影の軍隊』(69)、ルイス・ブニュエル監督作品『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(72)、シドニー・ルメット監督作品『オリエント急行殺人事件』(74)など大作や巨匠の作品に次々と出演し、フランスを代表する俳優の地位を確立する。最初の結婚でもうけた息子のヴァンサン・カッセルも俳優となり、マチュー・カソヴィッツ監督作品『クリムゾン・リバー』(00)で親子共演を果たした。2度目の結婚でもうけたセシル・カッセルも俳優として活躍している。2007年4月19日、フランス・パリで死去。74歳没。その他にリチャード・アッテンボロー監督作品『素晴らしき戦争』(69)、ジョゼフ・ロージー監督作品『鱒』(82)、ロバート・アルトマン監督作品『プレタポルテ』(94)、ジュリアン・シュナーベル監督作品『潜水服は蝶の夢を見る』(07)などがある。
COMMENT
この歳になってようやく、
ジャン・ルノワールの映画を発見した思いでいる。
彼は自分が認識していたよりも、
さらに、遥かに凄かったのだ。
観返せば観返すほど(歳をとればとるほど?)、
ジャン・ルノワールの映画は面白い!
濱口竜介
(映画監督)
『捕えられた伍長』の空はどうにも晴れそうにない。
ばかばかしくなるほどすべてがうまくいかない。
間違いだらけの世界に抗って、
しつこく何度も、こっそり逃げる。
ジャン・ルノワールの映画はあまりにも真剣で、
あまりにも楽しい。
いったいなんのために、どのようにして?
まずは一度、そしてしつこく何度でも!
三宅 唱
(映画監督)
ルノワール映画は、
空の虹。春の海。秋の通り雨。
淀川長治
(映画評論家)
彼の映画には映画のすべてが含まれている。
エリック・ロメール
彼の語ることはすべてが美しく、
その語り方も美しい。
ジョナス・メカス
ルノワールの映画は、まるで人生のようにリアルで、
最高の意味で映画らしい。
ベルナルド・ベルトルッチ
REVIEW
純粋形のルノワール――
『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』をめぐって
角井誠(映画研究・批評)
 ジャン・ルノワールの『コルドリエ博士の遺言』(1959)と『捕えられた伍長』(1962)は、演劇と自由の映画である。というか、『女優ナナ』(1926)から遺作『ジャン・ルノワールの小劇場』(1969)に至るまで、すべてのルノワール作品は演劇と自由をめぐる映画である。なかでも『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』は、演劇と自由の問題を極めて「純粋」な仕方で描いた作品だと言えるだろう。妻のディド・ルノワールに宛てた書簡のなかで、ルノワールは『捕えられた伍長』について、「苛烈で、おそらくとても純粋な」映画であると語っている(1962年2月22日付け書簡)。そう、『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』は「純粋」形のルノワール作品であるのだ。

 演劇と自由。ルノワールにおいて、世界はまず演劇としてある。『牝犬』(1931)や『ジャン・ルノワールの小劇場』の各エピソードがミニチュアの舞台で枠付けられていたことが端的に示すように、ルノワールの世界は劇場をなしているのだ。そこでは人物たちはみな一人の俳優、プレイヤーであって、何らかの役柄を演じている。会社員、移民労働者、泥棒、貴族、飛行士、小学校教師、俳優、将軍、医師など、生まれや才能に従って割り当てられた役柄。そう、誰もが「ゲームの規則」――フランス語で「ゲーム」を意味するjeuには「演技」の意味もある――に従ってプレイしているのである。けれども、それは窮屈な世界でもある。人物たちの内には、役柄に収まりきらない欲望や衝動が渦巻いている。そこから、「いかにしてゲームの規則から自由になるか」という、ルノワール的人物に共通の課題が生まれるのだ。
 とはいえ、演劇と自由の関係は単純な二項対立ではない。『コルドリエ博士の遺言』が描くのはまさに、演劇と自由の複雑な関係であり、自由の困難だと言える(以下、作品の内容にも触れるので、鑑賞後にお読みいただければと思う)。『コルドリエ博士の遺言』は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』を同時代のパリに置き換えて映画化したもので、高名な医師であるコルドリエ博士(ジャン=ルイ・バロー)は、残忍なオパール氏というもう一つの顔をもっている。普段は、「高潔なる医師」を演じるコルドリエ博士は、「あらゆる制約から自由で、どんなこともやってのけられる存在」オパールとなって自由を謳歌するというわけだ。
 ただし、コルドリエとオパールの関係はもう少し入り組んでいる。そもそもコルドリエの欲望、自由への衝動自体が、演劇の産物だと言える。「高潔なる医師」を演じなければならないことが、かえって内なる欲望、衝動を生み出し肥大化させていったのだ。他方で、役柄から自由な存在であるはずのオパール氏もまた一つの「役柄」として描かれている(それはラストでのルノワールのナレーションによっても強調される)。コルドリエは、役柄から完全に自由になるというよりも、「本能の透明な反映」たるオパールの役柄を演じているだけでしかない。後半、元に戻れなくなったコルドリエは衣装を脱げなくなった俳優であるかのようだ。それは、クマの毛皮が脱げなくなった『ゲームの規則』のオクターヴを彷彿とさせる。演技をやめるための手段はたった一つしかない(それをコルドリエはやってのけるだろう)。演劇と自由はたんに対立するのでなく、互いに絡み合っている。演技が自由への衝動を生産する一方、自由もまた役柄を演じることでしか実現されえない、という演劇と自由の逆説的な関係。ここには、ルノワールの作品世界の原理的な構造が、剥き出しのかたちで描き出されている。

 第二次大戦の戦争捕虜の脱走を描く『捕えられた伍長』もまた、演劇と自由の葛藤を描いた作品である。フランスがドイツに敗れて休戦協定が結ばれる。捕虜となったフランス兵たちは、休戦したのだから解放されると思いきや、ドイツの収容所へと送られることになる。そして伍長(ジャン=ピエール・カッセル)は、仲間のバロシェ(クロード・リッシュ)やパテル(クロード・ブラッスール)らとともにくり返し脱走を試みることになる。ここで劇場をなすのは、ひとまず収容所の空間であると言える。有刺鉄線に囲まれた収容所は、ドイツ兵たちによる厳密な規律、「ゲームの規則」が支配する演劇的空間としてある。兵舎を訪れたドイツ将校が下士官たちに「秩序と衛生」の遵守を命じる場面や、眼鏡の士官が整列した兵士たちに「脱走厳禁」、「一般市民との会話厳禁」、「ドイツ人女性との会話厳禁」という規則を伝える場面が象徴的だろう。そうした収容所という劇場から抜け出そうと、伍長たちは脱走を試みることになる。
 しかし、『捕えられた伍長』で興味深いのは、収容所の外が自由の地として理想化されていない点だ。フランスに帰るためには、ドイツの街を抜け、列車に乗ってフランスを目指さなくてはならない(そのとき、伍長たちは市民服に着替えて、ドイツ人を演じることが求められる)。それどころか、目的地であるパリもまた自由の地などではない。三度目の脱走のさい、脱走の相棒を辞退したパテルは伍長に「パリに戻るのが恐い」と打ち明ける。収容所ではみな同じ「仲間」であるけれど、パリでは金持ちは金持ち、浮浪者は浮浪者に分断されているからだという。パリに戻っても一緒だという伍長に、「本当にそんなこと信じているんですか」と返すパテルは真剣だ。
 パリへの帰還を拒むのは、パテルだけではない。バロシェもまた、「自由は有刺鉄線の向こう側にあるとは限らない。パリでは、僕はここ以上に奴隷だ。習慣や思考の奴隷、世の中を動かす愚かしさの奴隷だ」と言う。しがないガス会社の職員でしかないバロシェにとって、パリは収容所以上に窮屈な劇場でしかない。彼は現実から目を背け、自分の「塔」を築き、自分のための役柄を拵えて演じている(シナリオの草稿には、「人は自分で拵えた人物になる。だったらできるだけ高貴な人物を拵えようじゃないか」というバロシェの台詞がある)。役柄から抜け出すために別の役柄を拵えるバロシェはどこかコルドリエに似ている。そして、ここでも、役から完全に自由になる方法はやはり一つしかないだろう。
 収容所もパリも世界のどこも「愚かさ」の支配する劇場でしかない(そうしたパリへの醒めたヴィジョンには、アメリカに暮らしながら、変化するフランスを眺めてきたルノワール自身のものであるだろう)。にもかかわらず、ただひとり伍長だけが何度もくり返し脱走を試みる。なぜ伍長は脱走をくり返すのか。冒頭、占領地域に取り残された伍長らは、解放されるのか捕虜にされるのかをめぐって話し合う。伍長は、自分の運命がヒットラーやルーズヴェルトの手に握られていることに憤り、「自分たちで切り抜けるんだ」と宣言する。この映画で、それ以上の動機が示されることはない。祖国のためという大義や理念は一切示されない。パリに辿りつく前の農民との会話で「祖国」という言葉もまた徹底的に相対化される。「愚かしさ」の「奴隷」となるのでなく、自分の運命を自分で決めること。ただそれだけが伍長を突き動かす。エリカ(コーネリア・フローベス)の「私は奴隷ではない人が好きだ」という言葉が、挫けそうになった彼を鼓舞する。職業も階級も曖昧なこの「伍長」は、まさに自由への衝動の「透明なる反映」とでも言うべき存在である。
 だからパリに着いた伍長が、トルビアック橋の上で、「まだ始まったばかりだ」と言うのは当然なのだ。パリもまた劇場でしかないのなら、逃走=闘争は終わってなどいない、むしろ「まだ始まったばかり」でしかないのだから。この世界が愚かな劇場である限り、伍長の脱走に終わりはない。彼は、永遠の逃走=闘争を運命付けられている。その意味でも、伍長は終わりを選ぶバロシェやコルドリエと対極にあるだろう。微笑みを交わした伍長とパテルと別方向に分かれていくラストに目頭が熱くなる。自由への衝動の「透明なる反映」とも言うべき伍長と共にあることができたのが、友情の「透明な反映」ともいうべきパテルであったという事実が胸を打つ(クロード・ブラッスールの笑顔の素晴らしさ!)。これほど「純粋」なラストシーンがあるだろうか。画面奥へと消え去る伍長の背中を見送りながら、ふとそれが絶えざる越境と逃走をくり返してきたルノワールという映画作家自身の姿と重なりもする。『捕えられた伍長』から60年以上の時が過ぎた今、世界の「愚かしさ」は止まるところを知らない。伍長の――ルノワールの――不屈さは、今なお私たちに勇気を与えてくれる。