REVIEW
純粋形のルノワール――
『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』をめぐって
角井誠(映画研究・批評)
ジャン・ルノワールの『コルドリエ博士の遺言』(1959)と『捕えられた伍長』(1962)は、演劇と自由の映画である。というか、『女優ナナ』(1926)から遺作『ジャン・ルノワールの小劇場』(1969)に至るまで、すべてのルノワール作品は演劇と自由をめぐる映画である。なかでも『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』は、演劇と自由の問題を極めて「純粋」な仕方で描いた作品だと言えるだろう。妻のディド・ルノワールに宛てた書簡のなかで、ルノワールは『捕えられた伍長』について、「苛烈で、おそらくとても純粋な」映画であると語っている(1962年2月22日付け書簡)。そう、『コルドリエ博士の遺言』と『捕えられた伍長』は「純粋」形のルノワール作品であるのだ。
演劇と自由。ルノワールにおいて、世界はまず演劇としてある。『牝犬』(1931)や『ジャン・ルノワールの小劇場』の各エピソードがミニチュアの舞台で枠付けられていたことが端的に示すように、ルノワールの世界は劇場をなしているのだ。そこでは人物たちはみな一人の俳優、プレイヤーであって、何らかの役柄を演じている。会社員、移民労働者、泥棒、貴族、飛行士、小学校教師、俳優、将軍、医師など、生まれや才能に従って割り当てられた役柄。そう、誰もが「ゲームの規則」――フランス語で「ゲーム」を意味するjeuには「演技」の意味もある――に従ってプレイしているのである。けれども、それは窮屈な世界でもある。人物たちの内には、役柄に収まりきらない欲望や衝動が渦巻いている。そこから、「いかにしてゲームの規則から自由になるか」という、ルノワール的人物に共通の課題が生まれるのだ。
とはいえ、演劇と自由の関係は単純な二項対立ではない。『コルドリエ博士の遺言』が描くのはまさに、演劇と自由の複雑な関係であり、自由の困難だと言える(以下、作品の内容にも触れるので、鑑賞後にお読みいただければと思う)。『コルドリエ博士の遺言』は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』を同時代のパリに置き換えて映画化したもので、高名な医師であるコルドリエ博士(ジャン=ルイ・バロー)は、残忍なオパール氏というもう一つの顔をもっている。普段は、「高潔なる医師」を演じるコルドリエ博士は、「あらゆる制約から自由で、どんなこともやってのけられる存在」オパールとなって自由を謳歌するというわけだ。
ただし、コルドリエとオパールの関係はもう少し入り組んでいる。そもそもコルドリエの欲望、自由への衝動自体が、演劇の産物だと言える。「高潔なる医師」を演じなければならないことが、かえって内なる欲望、衝動を生み出し肥大化させていったのだ。他方で、役柄から自由な存在であるはずのオパール氏もまた一つの「役柄」として描かれている(それはラストでのルノワールのナレーションによっても強調される)。コルドリエは、役柄から完全に自由になるというよりも、「本能の透明な反映」たるオパールの役柄を演じているだけでしかない。後半、元に戻れなくなったコルドリエは衣装を脱げなくなった俳優であるかのようだ。それは、クマの毛皮が脱げなくなった『ゲームの規則』のオクターヴを彷彿とさせる。演技をやめるための手段はたった一つしかない(それをコルドリエはやってのけるだろう)。演劇と自由はたんに対立するのでなく、互いに絡み合っている。演技が自由への衝動を生産する一方、自由もまた役柄を演じることでしか実現されえない、という演劇と自由の逆説的な関係。ここには、ルノワールの作品世界の原理的な構造が、剥き出しのかたちで描き出されている。
第二次大戦の戦争捕虜の脱走を描く『捕えられた伍長』もまた、演劇と自由の葛藤を描いた作品である。フランスがドイツに敗れて休戦協定が結ばれる。捕虜となったフランス兵たちは、休戦したのだから解放されると思いきや、ドイツの収容所へと送られることになる。そして伍長(ジャン=ピエール・カッセル)は、仲間のバロシェ(クロード・リッシュ)やパテル(クロード・ブラッスール)らとともにくり返し脱走を試みることになる。ここで劇場をなすのは、ひとまず収容所の空間であると言える。有刺鉄線に囲まれた収容所は、ドイツ兵たちによる厳密な規律、「ゲームの規則」が支配する演劇的空間としてある。兵舎を訪れたドイツ将校が下士官たちに「秩序と衛生」の遵守を命じる場面や、眼鏡の士官が整列した兵士たちに「脱走厳禁」、「一般市民との会話厳禁」、「ドイツ人女性との会話厳禁」という規則を伝える場面が象徴的だろう。そうした収容所という劇場から抜け出そうと、伍長たちは脱走を試みることになる。
しかし、『捕えられた伍長』で興味深いのは、収容所の外が自由の地として理想化されていない点だ。フランスに帰るためには、ドイツの街を抜け、列車に乗ってフランスを目指さなくてはならない(そのとき、伍長たちは市民服に着替えて、ドイツ人を演じることが求められる)。それどころか、目的地であるパリもまた自由の地などではない。三度目の脱走のさい、脱走の相棒を辞退したパテルは伍長に「パリに戻るのが恐い」と打ち明ける。収容所ではみな同じ「仲間」であるけれど、パリでは金持ちは金持ち、浮浪者は浮浪者に分断されているからだという。パリに戻っても一緒だという伍長に、「本当にそんなこと信じているんですか」と返すパテルは真剣だ。
パリへの帰還を拒むのは、パテルだけではない。バロシェもまた、「自由は有刺鉄線の向こう側にあるとは限らない。パリでは、僕はここ以上に奴隷だ。習慣や思考の奴隷、世の中を動かす愚かしさの奴隷だ」と言う。しがないガス会社の職員でしかないバロシェにとって、パリは収容所以上に窮屈な劇場でしかない。彼は現実から目を背け、自分の「塔」を築き、自分のための役柄を拵えて演じている(シナリオの草稿には、「人は自分で拵えた人物になる。だったらできるだけ高貴な人物を拵えようじゃないか」というバロシェの台詞がある)。役柄から抜け出すために別の役柄を拵えるバロシェはどこかコルドリエに似ている。そして、ここでも、役から完全に自由になる方法はやはり一つしかないだろう。
収容所もパリも世界のどこも「愚かさ」の支配する劇場でしかない(そうしたパリへの醒めたヴィジョンには、アメリカに暮らしながら、変化するフランスを眺めてきたルノワール自身のものであるだろう)。にもかかわらず、ただひとり伍長だけが何度もくり返し脱走を試みる。なぜ伍長は脱走をくり返すのか。冒頭、占領地域に取り残された伍長らは、解放されるのか捕虜にされるのかをめぐって話し合う。伍長は、自分の運命がヒットラーやルーズヴェルトの手に握られていることに憤り、「自分たちで切り抜けるんだ」と宣言する。この映画で、それ以上の動機が示されることはない。祖国のためという大義や理念は一切示されない。パリに辿りつく前の農民との会話で「祖国」という言葉もまた徹底的に相対化される。「愚かしさ」の「奴隷」となるのでなく、自分の運命を自分で決めること。ただそれだけが伍長を突き動かす。エリカ(コーネリア・フローベス)の「私は奴隷ではない人が好きだ」という言葉が、挫けそうになった彼を鼓舞する。職業も階級も曖昧なこの「伍長」は、まさに自由への衝動の「透明なる反映」とでも言うべき存在である。
だからパリに着いた伍長が、トルビアック橋の上で、「まだ始まったばかりだ」と言うのは当然なのだ。パリもまた劇場でしかないのなら、逃走=闘争は終わってなどいない、むしろ「まだ始まったばかり」でしかないのだから。この世界が愚かな劇場である限り、伍長の脱走に終わりはない。彼は、永遠の逃走=闘争を運命付けられている。その意味でも、伍長は終わりを選ぶバロシェやコルドリエと対極にあるだろう。微笑みを交わした伍長とパテルと別方向に分かれていくラストに目頭が熱くなる。自由への衝動の「透明なる反映」とも言うべき伍長と共にあることができたのが、友情の「透明な反映」ともいうべきパテルであったという事実が胸を打つ(クロード・ブラッスールの笑顔の素晴らしさ!)。これほど「純粋」なラストシーンがあるだろうか。画面奥へと消え去る伍長の背中を見送りながら、ふとそれが絶えざる越境と逃走をくり返してきたルノワールという映画作家自身の姿と重なりもする。『捕えられた伍長』から60年以上の時が過ぎた今、世界の「愚かしさ」は止まるところを知らない。伍長の――ルノワールの――不屈さは、今なお私たちに勇気を与えてくれる。
原作者スティーブンソンの精神に最も近い形で、
映画の脚色を成し遂げている。